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アマゾンズと愛

この記事は『仮面ライダーアマゾンズ シーズン1』についてです。(以下『アマゾンズ』と略)

Armour Zone

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『アマゾンズ』で考えたことを書く前に、この記事における「愛」という意味について述べておきます。
わたくし『ヴィンランド・サガ』が大好きでして、そのなかで記される「愛」についてはじめにご紹介致します。

「神の御技はこんなにも美しいのに、人間の心に愛は無いのか」

ここにおける「愛」は、絶対的な公平性をもつものとして説かれています。そのため自然によって起こる事象は万物へ平等である「愛」ですが、人が誰か・何かを好意ゆえに贔屓することは「愛」ではありません。人間が「愛」を持つのは、死んで亡骸となったとき。感情に左右される人間に「愛」はありません。

ヴィンランド・サガ』における「愛」の概念は、『アマゾンズ』を語る上で使いやすいなと思ったので、ご紹介しました。




本題の『アマゾンズ』ですが、今回語りたいことは「悠と駆除班と鷹山、それぞれの愛について」です。


シーズン1の主人公・悠は「守りたいものを守る」と断言します。
アマゾンを狩るにあたり人を食すアマゾンは狩り、人に害を加えずに人間として生きていこうとするアマゾンは守る。自身もアマゾンである悠は、この線引きの元戦うことを決意します。

自分は人間なのか、アマゾンなのか。
シーズン1を通して己のアイデンティティはどこにあるのかを彼は探していました。そして辿り着いた答えが「守りたいものを守る」という分かりやすくも曖昧な線引き。
結局は自分の主観で守るか狩るかを選択するという、嫌味な言い方をすると身勝手な答えです。とはいえこれが、幾つかの戦いを経て目の前で消える命を見て無抵抗なまま亡きものにされた人を助けられなかった彼の、精一杯の「人間とアマゾンに対する愛」だったと感じました。


対する駆除班はシンプルに「アマゾンは全部狩る」を心情に仕事をします。あくまで仕事として。
曖昧な線引きをしてアマゾンに情を移す悠に叱責し、その姿勢を咎め続けます。しかし、1話からマモルの存在という大きな矛盾を抱えているのですが、不自然なほど彼のことには触れません。マモルは人を食しませんがアマゾンであり、それでいて駆除班の一員です。アマゾンを駆除するチームにアマゾンがいる。全部狩ることを目的としているけれども自然とマモルのことは除外している。悠の線引きについて苦言を呈しているなかで、彼らも同じことをしているんです。
マモルがアマゾンに目覚めかけてしまい駆除班を離れる終盤。アマゾンを狩りに来た鷹山に襲われているマモルを、駆除班は助けます。マモルはアマゾンである以前にチームの仲間だと。

先ほども述べましたが、悠のことをさんざん言ってきたけれども結局自分達も同じ結論に落ち着くんですよね。
「守りたいものを守る」という身勝手さ・贔屓さは、公平性という意味での「愛」とは離れているけれど、感情を持つがゆえの人間らしさの表れだと思うのです。
感情が無ければ公平に平等に、アマゾンを一体残らず殺すことが出来る。オートマチックになりきれず情を残してしまう脆さが、人間らしさでもあります。

昔読んだ『空想科学読本』に「デスノートは大量殺人に向かない」という一文がありました。手間がかかるのはもちろんですが、一人一人の顔を思い浮かべながら名前を書くとどうしても情が移るのではないか、とのこと。
アマゾンも、同じだと思います。一体一体倒すより、トラロック作戦で毒を撒いた方が効率が良い。駆除班は、大量狩りには向きません。しかしいざジェノサイドが始まってみると、あまりに軽く失われていく命に呆然とする。オートマチックな大量狩りが公平性だとするのなら、やはり駆除班はその意味での「愛」を持てずにいます。人間らしい脆さが駆除班の武器であり、その武器を戦う基準として明言したのはアマゾンである悠です。


公平性という意味で一番「愛」に近いのは鷹山仁なのかもしれません。人間からアマゾンとなった彼は「この世の全てのアマゾンを殺す」ことを目的に戦います。人を手にかけていようがいまいが、何を食べていなくとも、人を敵視していなくとも。アマゾンである悠も含め、そしてもちろん、自分も含め。彼の戦う姿勢には一点の贔屓も特別扱いも無く、残酷なまでに純然たる公平性が存在します。彼なりの人類に対する、またアマゾンに対する「愛」なのかなぁと思いました。なんてバイオレンスな愛なんだ。


恋人に対する愛情、子どもに対する愛情。それら全てを飛び越えて「食べたい」という本能が勝ってしまうアマゾンはある意味で分け隔てなく公平であり、人間では凡そ持てない「愛」が本質にあるのではと考えました。




悠も駆除班も、愛ゆえに誰かを特別扱いしてしまう。どんなに己を律しても戦う手が緩んでしまう。そこが人間臭いですよね。そして、それでもいいんじゃない?と思わせてくれる彼らが私は大好きです。

この「大好き」に公平性はないので愛ではないですね。難しいわぁ。『ヴィンランド・サガ』もあわせてよろしくお願い致します。