セロリ案件

世界を征服しようぜ

原作の千石と山吹

テニミュの千石ってちょっとキャラ違わないか?
久々に原作を読み返したら千石の印象がだいぶ変わったのでまとめ。


千石清純という男。
女の子を追いかけて、いつもニヤリと笑っていて、飄々としていて、本音を見せない。試合では自分の強みをどう見せたら相手を揺さぶれるかの心理戦を行い、ゲームメイクする。得意技は小さい体をめいっぱいジャンプさせて高い打点で打ち込む虎砲。そして特徴は鋭いスマッシュさえもコマ送りに見えてしまうほどに優れた動体視力。

努力を惜しまぬうえに冷静でクレバー、試合慣れもしている優れた選手。

そこで考えてみてほしい。テニミュにおける千石のソロ楽曲「ラッキー千石」について。
決して悪いとは言わない。私もこの曲好きだもの。山吹みんなで盛り上げてくれるダンスもいいし、明るい楽曲も千石のキャラと合っていて聞いていてテンションが上がる。地味‘sの曲との対比もよい。

とはいえ、上記の千石の特徴がいまいち反映されていないこの曲。改めて聞くともったいない。ラッキー千石の強みは幸運ではなく、自分の長所を上手に活かしたゲームメイクと、それを出来るだけの実力。そして実力を伴うためにささげられた努力に尽きる。


山吹公演は3シーズンともそれぞれ作りが違っていて、シーズンを追うごとにどんどんと丁寧になっていっている。誤解のないように添えておくが、各シーズンともにそれぞれの面白さがあるのは確か。どれも大好き。

3rdにてようやく1曲の山吹校歌がうまれた。私はこの校歌が大好だ。何度見ても聞いても飽きない。「山吹」という字の如く、山吹を「山から吹き上げる一陣の風」と見立てたそのセンス。ちゃんと2ndの「100%の心」から続いていてうれしかった。最後のダンスでは亜久津だけ違う動きをしているところも良い。モットーである「テニスは楽しく」と、誰の指図も受けずに動く亜久津とが奇妙なバランスで共存している山吹中テニス部を上手く表している。

そう、山吹中のモットーは「テニスは楽しく」
ここで思い出してほしい。伴爺のことを。

改めて読み返して、やっぱり伴爺ってテニミュに必要ではないかと思い始めた。
亜久津がなぜテニス部にいるのか、誰に誘われたのか、誰が亜久津とテニスを繋ぎとめているのか。このあたりの話はテニミュにおいては伴爺不在のため省略されている。対亜久津時の伴爺の役割は千石が担っている。千石、自分の解釈より伴爺の役割を優先させるとは優しすぎないか。

シーズンを重ねるごとに工夫を凝らし演出を組んでくるテニミュ。まだまだ山吹は伴爺関連の話題も優紀ちゃん関連の話題も追加できる。これからの変化が楽しみだ。


ここ数年はもっぱらテニミュを見て新テニを読んで、という日々だったので久々に旧テニ原作を一から読み返すと自分がいかに偏った知識しかないことが千石を通して分かった。
これを読んでくださっている中に、もし千石について私と同じような考えの方がいたらぜひとも山吹戦だけでも読み返してみてほしい。