セロリ案件

世界を征服しようぜ

【友人寄稿】全立で、開眼した話

先日の全国立海前後編配信を観た友人が、感想文を書いてくれました。
あまりに素敵な文だったので、こちらにて紹介致します。


ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 全国大会 青学vs立海 前編 BD/DVD CM


ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン全国大会 青学vs立海 後編 Blu-ray&DVD CM





全立で、開眼した話


友人に連れられて、これまでも3rd関東氷帝戦、3rd四天宝寺戦、2nd全国立海はおろかドリライまで観たことがあった。無論、テニミュのチケットを取ってくれる友人がいれば、DVDだって何作分も観ている。
しかし今回、初めて「ハマった」、実感というか予感がある。
なぜ「今」だったのか。2nd全国立海を生で観た時も、隣で号泣する友人をわらっていたのに。考えたことを書き留めておきたい。

光と影、表と裏―対立しない二項
主題としても、微細な部分にも、今作には「光と影」の構造が常にみられたと思う。というより、それは元よりテニミュの中に在って、私が「見えるようになった」だけのことだろう。原作と舞台、キャラクターとキャスト、シリアスパートと小ネタのバランス、コートの中と外。そして今作においては幸村とリョーマ。これら(矛盾のある)二項対立ではない、表裏一体の構造が随所にあり、その部分が今回の私の感動に繋がった。

まずはコートの内と外について。
ライバルズを集めに奔走するトリオ(愛おしすぎる)、越前リョーマを取り戻すために全力を尽くすライバルズ、南次郎、そして言うまでもなくチームメイトたち。彼らは全国大会決勝のコートには上れない。
実は今回が、私が原作読了後に初めて観たテニミュであった。
無論テニミュは1作1作が単体で、成立している、という表現では足りないほどに完成されている。本来「続き物」である作品を、あれほどまでに1本の演劇作品として昇華させる凄さ。今回の3rd10作目の全国立海でも、その点は大いに実感させられた。
しかしやはり、ここまでに積み重ねられた時間とドラマを知った今、メンバーはより立体感をもって眼前に現れた。
コートの外側にいる選手たち、真田の持つ準優勝の盾の重みに、思いを致せたことは大きかった。

そして「キャラクター」と「キャスト」という構造について。
今回、舞台挨拶やメッセージビデオを通して、より強く「キャスト」としての顔を意識させられた。
特に舞台挨拶!衣装も何もかもそのままのはずなのに、さっきまでそこにいたキャラクターはいなくなっていた。青木くんは手塚ではなく青木くんになっていたし、増子くんも白石ではなくなっていた(増子くん、特に)。憑き物が落ちたかのような、正に「変化(へんげ)」を目の当たりにさせられた。
そういうメタ視点のプラス効果において、2.5次元は至高だと思い知らされた。
例えば卒業式のシーンの、乾の涙は即ち竹之内くんの涙であり、黄金の涙は、黄金を演じてきた二人の涙でもある。そんなダブルパンチが続けざまに襲ってきて、気づけば自分も号泣していた。
物語の本筋の外に「役者」の存在が意識されることが、プラスに作用する。これは、私にとって新鮮な体験だった。
特に幸村の存在など、「テニヌ」と揶揄される部分の真骨頂だろう。しかし曲が、演出が、そしてキャストの美しさと実力とが、説得力をもって「神の子」らを現在させる。
演出やキャストの存在―舞台上においては「影」であるはずの側面を意識させられて更に、キャラクターが輝いてみえる。

こういった、テニミュの構成要素として元よりあったものが「見えた」、成就感ともいえる心地良さが、今回大きかった。開眼したのだ。

ブロードウェイや帝劇などのミュージカルこそ「雅」であり、いわゆる2.5次元舞台は対する「俗」である。そんな私の頑なな先入観も、本作に感じた「光と影」のメッセージが解いてくれた。コート―ひいては舞台において、上位も下位もないのだと。その実感も、これ程までに没入できた、できるようになった理由の1つかと思う。

私は劇場を出る時心底ハッピーな気持ちでいられる作品が好きだし、テニミュはそれを叶えてくれる。
「サラリーマンの死」観劇後の陰鬱な気分や、「死旗」観劇後の食欲が無くなる感じもそれはそれでよかった。社会派の作品を観てぐるぐる考えることも必要だろうし、好きだ。
けれどもやっぱり、「楽しいじゃん!」にはかえられない。
「この瞬間に立ち会えてよかった」、拡張すれば「(同じときに)生きていてよかった」とも言える感覚に、私は最も価値を見出すのだと再確認させてくれた。

勝利のみを至上命題としてきた立海を、「楽しいから続けてきた」リョーマが打ち破る構造も、そんな私の心情にぴたりとはまった。
立海の辛い努力、そして難病さえ乗り越えてきた幸村が、追い求めてきた「勝利」という形で報われないところはシビアだ。
しかし、ともすれば苦しみそのものに価値が見出されてしまいがちなスポーツモノにおいて、青学が勝つ意味は大きい。
勝利するのは、眩しい「楽しさ」の輝きを纏ったリョーマなのだ。
ここにも、勝・負はあっても上下はないというメッセージがあったように思う。

今回、そういった諸々の裏側、「影」サイドをより認識できたからこそ
「テニスって楽しいじゃん!」
の光の部分が、強く強く迫ってきた。
バンザイ!が沁みたし、
リョーマの、仁愛くんの涙が「ホンモノ」として胸に迫ってきた。

ひとりでスタンディングオベーションした。

もう一度、おうちではないテニミュを観に行くまでは死ねない
(加えて、テニミュが終わる前に逝きたい)。

この願いを、テニミュはきっと叶えてくれるだろう。

今の状況も、それがための陰の部分だと考えれば頑張れる。

それにしてもドリライが観たい!
今の「テニスを楽しむ気持ち」を忘れないうちに、また高みに連れて行ってくれ…
だって私もまだまだだから。